やや晴れ。のち曇り。
今日は、《竹水》とやらを採ってみようとチャレンジした。
竹水(ちくすい)を知ったキッカケの動画はコチラ。
大きなポリ袋が無く、手持ちのあずま袋で動画も見直す前に適当にやったから
本当にテキトウ。。(о´∀`о)
しかも、写真撮り忘れて竹を切ったまでの写真しかない。。
こんなカンジの、若い竹でやってみた。
他、予備で普通の竹でもやってみたけど、節の中に水が溜まらないように節ギリギリで切るとか失念していた。
初めてのことをやるんだから、動画を確認してからやれば良いのにね。つい見切り発車でウロ覚えのままやっちゃう。
また、やり直しに行こう。。
あと、島の場合は、カラスにイタズラされない対策も必要。
多分、袋とかすぐに破られる。
私が作業しているのを上で見ていたカラスが騒いでいた。
竹は、島の雑木林に行けばある。
雑木林の中には、もれなく人工的な石積みがある。
多分、集落跡だと思うけど、どんな生活を送っていたのかは不明。想像もつかない。
だいたい、この辺は(今は)水が出ない。水の確保、どうしてたん?井戸があったんかな。。??しかも海から遠い場所で、食糧の確保はどうしてたんだろう??畑やってた???
あと、こんな風に木が生い茂っていたら、生活するの大変。木の伐採とか草刈りとかどうしてたんだろう??謎なんだよね。
もしかしたら氷河期くらいの遺跡か?とか個人的には考えているんだけど、誰も真剣には研究してないから分かんない。
一通り昔の学者が見て回ってるはずだけど、特に注目もされてないってことは、そんなに大した遺跡ではないのかも。そもそも、遺跡と呼べるような遺物が出てないんだろうね。ホント、どおいう生活がここで行われていたんだろう。霊能者呼んで霊に聞いてもらいたい。
そんなことを、こおいう雑木林に入る度に思う。
竹水についてはまた後ほど書きます。
上手く採れていると良いな。。
あと
最近読んでる本。
先日のブログ、、
でも書いた
「人間とは無限の意識だ」という記述はこの本から。
ホント、
今の人類ってすんごく騙されているから、早く目を覚ました方が良いみたい。
まぁ、国民の8割がメディア様の言う通りにワク打っちゃったから、あまり期待はできないけど。
この15年前に発刊した本にもワクでマイクロチップ入れる話は出てるんだよ。
陰謀論じゃなくて、もはや国家計画。
15年前に既にそおいう話があったんだから、今はもっと進んだ話を計画中、ないしは遂行中でしょう。
あと、
携帯基地局という名の電波の結界が、そこかしこに張り巡らされている。
この視点も忘れちゃいけない。
認識したところでどうにもできないけどさ。
木の棒に銅線を巻いて土に挿す《エレクトロカルチャー》とかで少しは対抗出来るかも?
とりあえず、イヤシロチを作る対処法を実践していくのは良いかも。
あまり余計な人工電波を浴びないほうが良い。
とりあえず、
この本には「私たちの本質が『無限の愛』であり『無限の才能』であることを思い出すべし」みたいなことが書かれていました。
無限の愛って言われてもイマイチピンときませんが。。(*´ω`*)
「最後に愛は勝つ〜♪」ってことでしょうか…?
まぁ開き直って、自分には無限の才能があるんだから何でもできるはずッ!って果敢にチャレンジして、限られたこの地球世界で工夫を重ねて豊かに楽しく幸せを感じながら生きていくしかないってことでしょうか?でも結局悪い人の方が強いんですけどね。だから今いないじゃん。良い神様。いても、チカラ弱いじゃん。
まぁ結論、「よく分かんねぇや」デス。
もう少し、読み込んだらまた書きます。
人類必読!ってくらい、面白い本です。
あと、
これから起こされるであろうことも書かれているから、予防線張るのにも良い。
事前に危険を察知できたら量子力学の法則によって大難を小難にできる。
南海トラフ地震が起きないのも富士山噴火が起きないのもその効果によるところが大きいはず。
ただ、
あまり知られていないところで台湾と与那国島の間で巨大地震が起きる可能性が90%とも言われている。その一部が前に起きた台湾地震だろうけど、これだけで済んだとは考え難い。
壊滅的な巨大地震が起きれば、それを皮切りに南西諸島(沖縄本島よりも南にある島々)の侵略が始まるかもしれないし、沖縄が乗っ取られたら日本本土も危うい。
他人事と思わず、沖縄にも関心を持ってもらいたいです。
悪い人、ズルい人はさ、もうやることなすことぜーんぶが迷惑なんよ。
だから、対処していくのも大変。キリがない。注意しても理解してくれない。ホント、レプティリアンの血が濃いのかもね。DQNが近くにいるとマジで大変。迷惑。
そおいうのもごちゃ混ぜで存在している、地球。
この世界は地球規模の牢獄。
牢獄の中で唄をうたい、花を咲かす。
ドブネズミのように美しく、
自分の誇りを貫く。
それは愚か、か。
愚か、かもしれない。
それでも自分が『美しい』と思えるものを貫けたら、満足して死んでいけるのかもしれない。
既に操作されてる意識なのかもしれないけど、どんなにあがいても奴隷の人生からは逃げられないのかもしれないけど、人を足蹴にして笑う奴になるよりかは
共に苦労し笑い合える仲間がいるほうが幸せだと思う。
笑う門には福来る。
共に、笑い合える仲間がいるということ。
それが何より。